博物館ニューストップページ博物館ニュース111(2018年6月25日発行)Q.東京に徳島藩ゆかりの門があると聞いたのですが、本当ですか?(111号QandA)

東京に徳島藩ゆかりの門があると聞いたのですが、本当ですか?【レファレンスQandA】

歴史担当 松永友和

A.本当です。その門は現在、東京都世田谷(せたがや)区の西澄寺(さいちょうじ)というお寺にあります(図1)。「武家屋敷門(ぶけやしきもん)」という名称で、昭和39年(1964)4月28日に東京都有形文化財(建造物)に指定されています。東京都教育委員会が管理する「東京都文化財情報データベース」の解説文には、「東京に残る数少ない武家屋敷門の一つとして、貴重なもの」とあります。

図1 西澄寺の山門。江戸時代は徳島藩江戸屋敷(中屋敷)の門で、現在は東京都有形文化財に指定されている。

図1 西澄寺の山門。江戸時代は徳島藩江戸屋敷(中屋敷)の門で、現在は東京都有形文化財に指定されている。

「武家屋敷門」について、もとは芝(しば)(現、東京都港区芝5丁目)にあった徳島藩(とくしまはん)江戸屋敷(中屋敷(なかやしき))の門であったとされます。大正末期に移築され、以後は西澄寺の山門として転用されますが、詳しい経緯や関連資料は残されていないようです。

門は切妻造(きりづまづくり)(本を開いて伏(ふ)せたような形状の屋根の造り)で、屋根には蜂須賀家(はちすかけ)の家紋(かもん)「左万字(ひだりまんじ)」があしらわれた瓦(かわら)が使用されています(図2・3)。門の桁行(けたゆき)は6間(けん)(約10.9m)、中央に両開きの戸があり、その左右に片開きの潜戸(くぐりど)があります。さらに門の両端には、切妻造で桁行2間、梁間(はりま)3間の出番所(でばんしょ)(門番の詰所(つめしょ))が設置されています。徳島藩25万7000石の家格(かかく)に応じて建築されたものと考えられ、実際に門に近づくと、その堂々とした風格を感じさせます(図4)。

図2 正面右側から見た門

図2 正面右側から見た門

図3 瓦には蜂須賀家の家紋「左万字」紋が見える。

図3 瓦には蜂須賀家の家紋「左万字」紋が見える。

図4 正面右側の潜戸と出番所。堂々とした風格を感じさせる。(写真はいずれも2016年12月、筆者撮影)

図4 正面右側の潜戸と出番所。堂々とした風格を感じさせる。(写真はいずれも2016年12月、筆者撮影)

江戸時代、全国各地の大名屋敷がひしめく巨大都市江戸には、多くの武家屋敷門があったと考えられます。しかし、そのほとんどは火災や戦火などにより失われてしまいます。徳島藩ゆかりの「武家屋敷門」は、いくつもの災禍(さいか)をくぐり抜け、現在は東京都の「宝」として、後世に大切に引き継がれています。

カテゴリー

ページトップに戻る