博物館ニューストップページ博物館ニュース116(2019年9月25日発行)Q.「だらだら祭り」と呼ばれる祭りがあると聞きましたが、なぜ・・・?(116号QandA)

「だらだら祭り」と呼ばれる祭りがあると聞きましたが、なぜそう呼ぶようになったのですか?【レファレンスQandA】

民俗担当 磯本宏紀

かつては何日も日数をかけて「だらだら」と祭りが進行していたので、そう呼ばれるようになったと言われています。ただし、地元で「だらだら祭り」と呼んでいたわけではなく、何日も続く秋祭りを、マスコミ等外部の人がそう呼ぶようになったというのが真相のようです。

通称「だらだら祭り」と呼ばれる祭りが、県南部にはいくつかあります。その代表格が、阿南(あなん)市椿泊(つばきどまり)町ちょうの佐田(さた)神社の秋祭りです。佐田神社は、現在椿泊地区で祀(まつ)られる神社です。その佐田神社の秋祭りは、現在は9月第2週目の金・土・日曜日の3日間で行われています。

祭りの概要は次のようなものです。1日目は、佐田神社で神事を行った後、神輿(みこし)行列が地区内を練り歩きます。神馬(しんめ)(模型)が先頭を進み、その後ろに神輿、さらに椿泊各組(小地区)のだんじりが続きます。神輿行列は、組ごとの御旅所(おたびしょ)で止まり、神事と小休止を繰り返しながら移動します。当屋(とうや)等の家の前まで行き、その家からは酒や肴(さかな)等が神輿行列一行に振る舞われます。途中神輿が海に入り、海渡御(とぎょ)を行うこともあります。こうして、椿泊中をまわった神輿は、夜には神社下の御旅所に入ります。2日目には神輿の船渡御が行われます。「岬祭り」と言い、神輿を船に乗せて蒲生田(かもだ)岬の岬神社を海上から拝み、再び佐田神社に戻ります。3日目は、1日目同様に神輿がだんじり等の行列と一緒に椿泊を練り歩いた後、佐田神社に宮入りし、神社での神事を経て祭りが終わります。

現在のように祭日が3日間だとそれほど長くないと思うかもしれませんが、2005年までは祭日は5日間でした。その翌年に神輿のかき手が減ったことを理由に3日に短縮したようです。この5日というのも、1950年代の新生活運動の影響を受け、祭りの簡略化、短縮のため取り決められたものです。それ以前は、祭りの日数が決められることなく、10日以上祭りが続くこともしばしばでした。神輿をかく若い衆が、「神意」だとして神輿を宮入りさせず、祭日を延長させていました。祭日を地区の休み日とする慣習が背景にありました。少しでも長い休み(=祭日)を獲得したいとする当時の若者の気持ちが伝わってくる例です。

新暦9月は、福岡等を拠点にする遠洋漁業の出稼ぎ者も休漁期間に入り、祭りに戻って来ており、沿岸での夏の漁が終わった漁閑期(りょうかんき)でもありました。漁業中心の生業暦(せいぎょうれき)の中で休むことのできる期間だったこと、祭日の日数が決まっていなかったことなどが、「だらだら」祭り誕生の要因かもしれません。

図1 佐田神社を出る神輿

図1 佐田神社を出る神輿

図2 小休止する神輿行列

図2 小休止する神輿行列

 

ページトップに戻る