博物館ニューストップページ博物館ニュース038(2000年3月25日発行)災害から文化財を守る(038号CultureClub)

災害から文化財を守る【CultureClub】

考古・ 保存科学担当 魚島純一

はじめに

1995年1月17日早朝、阪神・淡路地域を襲つた大地震(じしん)は、まさに未曾有(みぞう)の被害(ひがい)をもたらした。早いもので、あの「阪神(はんしん)・淡路大震災(あわじだいしんさい)」からすでに5年の歳月(さいげつ)が流れた。
この震災は、建築(けんちく)、防災(ぼうさい)、危機管理(ききかんり)など、さまざまな方面に多くの教訓(きょうくん)を残した。もちろん文化財(ぶんかざい)の保存に関わる分野(ぶんや)も例外ではない。
ここでは、阪神・淡路大震災の文化財レスキュー活動に参加した経験をもとに、災害から文化財を守るためには何が必要かを考えてみたい。

震災と博物館

地震発生からおよそ2週間が経過(けいか)した1月30日、私を含めた3名の徳島県立博物館職員が、文化財等への被害状況(ひがいじょうきょう)の調査(ちょうさ)と、神戸市立博物館(こうべしりつはくぶつかん)の復旧(ふっきゅう)のお手伝いのため神戸の地を訪れた。その際目にした神戸の街(まち)は、倒(たお)れたビルや折(お)れた電柱(でんちゅう)、でこぼこだらけの道路など、まさにテレビなどで報道(ほうどう)されているすさまじい状況そのものであった(図1)。

図1地震によって倒れかけたビル(1995.1.30神戸市内) 

図1地震によって倒れかけたビル(1995.1.30神戸市内)

 
神戸市立博物館は、外観(がいかん)を見る限りほとんど被害を受けていないかのように感じられたが、地盤(じばん)の液状化現象(えきじょうか)により建物が傾(かたむ)き、わき水のため地下の講堂等は浸水(しんすい)したと聞かされた。完全に横倒しになった大型の移動ケースなどが見られ(図2)、地震の揺れの大きさを伺い知ることができた。それでも、収蔵庫(しゅうぞうこ)に保管(ほかん)された資料の多くは木箱(きばこ)などに収(おさ)められていたために棚(たな)から落下したものの破損を免れたとも聞いた。

図2横倒しになった大型展示ケース(1995.1.30神戸市立博物館)

図2横倒しになった大型展示ケース(1995.1.30神戸市立博物館)


博物館の職員は、必要最小限を残して、避難所(ひなんじよ)の手伝いにあたっているため、博物館としての業務は完全に停止しているという。そのため、すでに救出された国宝(こくほう)等の一部の資料を除いて、館内の資料の本格的な片つけができるのはいつになるのかわからない状況であるという。

このように、いざというときには博物館などの公的施設(こうてきしせつ)は、自(みずか)らの被害はもちろんのこと、行政(ぎょうせい)の一員(いちいん)として、その後の市民生活(しみんせいかつ)の復旧に全力をそそぐために、文化財の保存などの本来の活動に戻れるまでにはかなりの時間を要することが明らかとなったのである。
ただ、博物館という箱の中に展示、保管されていた資料は、散逸(さんいつ)、廃棄(はいき)などの心配にさらされることはなかった。

何が残ったのか

阪神・淡路大震災を教訓に、文化財保存に関する学会(がっかい)でもさまざまな議論(ぎろん)がおこなわれた。「なぜ文化財を残さなければならないのかつ」「残すことにどんな意味があるのか?」文化財の保存に携(たずさ)わる人間にはごく当たり前とも思えるようなことまで議論がされたのも、震災の教訓のひとつであるといえる。

そんな議論の中から、まとめられたいくつかの報告では、結果として、震災後に残った文化財はすべて指定(してい)などのように何らかの形で守られていたものか、残そうとする働きかけがなされたものばかりであることが明確(めいかく)となった。人命(じんめい)までもが危機(きき)にさらされた時、まず第一に考えるべきは人命のことであり、被災者(ひさいしゃ)の生活である。文化財の保存を考えることは、どうしても二(に)の次(つぎ)とならざるを得ないから、当然と言えば当然のことである。
このことは何も今回の震災に限ったことではない。長い歴史の中で、現在まで伝えられた文化財は、すべて残そうと考え、何らかの形で保護されたものなのである。

しかし、残そうとするためには、そのものの存在(そんざい)や価値(かち)を十分に認識(にんしき)する人が必要となリ、それを守るために行動できる人びとの存在が不可欠(ふかけつ)となる。実際、阪神-淡路大震災の時にも、守りたいという意思(いし)はあったものの、生活そのものが優先され、やむなく姿を消すこととなった文化財も数多く存在した。

地域と文化財保存

3月はじめ、淡路島(あわじしま)でおこなわれた文化財レスキューに参加する機会を得た。地元(じもと)の地方史研突会のメンバーを中心としたボランティアによる、未指定文化財の救済活動であった。震災によって全半壊(ぜんはんかい)した建物内に取り残され、このままでは廃棄されてしまう民具(みんぐ)や歴史資料、古文書(こもんじよ)、書籍(しょせき)などを救い出すことがおもな目的であった(図3、4)。

すでに震災から50日ほどがたっていたこともあり、民具や漁具(ぎょぐ)など多くの未指定(みしてい)の文化財が廃棄、焼却(しょうきゃく)されてしまったことを聞かされ、文化財の救済活動にもっと迅速(じんそく)さが要求されることを実感した。

図3震災で前回した土蔵(左)と半壊した土蔵(右)(1995.3.8淡路島西淡町)

図3震災で前回した土蔵(左)と半壊した土蔵(右)(1995.3.8淡路島西淡町)

図4土蔵から運び出された文書などの整理作業風景(1995.3.8淡路島西淡町)

図4土蔵から運び出された文書などの整理作業風景(1995.3.8淡路島西淡町)

そんな中でも、文化財に対する理解のある方が、取り壊し現場等をまわり、多くの文化財を救出し、地元の資料館に避難(ひなん)させていることを知った。まさに、文化財に対する理解(りかい)と、それを守ろうとする意識(いしき)のたまものであった。このように淡路島では、文化財に関心を持った人たちの集まりが中心となって、地域の資料館、博物館に働きかけ、さらにボランティアの協力を得て、かなりの量の文化財が救出されたのである。

この活動に参加することを通して、日頃から民間レベルでの文化財保護の意識を高めていく必要性があることを強く感じた。ひとりだけでも文化財の保護を考える人がいて、実際に行動できれば、少なからず救済できるものもあることを実感した。もっと早い時期(じき)に手足(てあし)となって動ける人がいれば、さらに多くの文化財が救済できたであろうと悔(く)やまれる。特に災害などの非常時においては、行政は被災者の生活の確保を優先せざるを得ないために、文化財の保存に地域やボランティアが果たす役割は大きいといえる。
阪神・淡路大震災における文化財レスキュー活動は、文化財の保存に携わる者の一人である私に、自然の前では人間の力のなんと弱いこと、そして目的を持った人間の力の大きなことを教えてくれた。

地震をはじめとした、災害(さいがい)はいつか必ず発生する。いざというときには、一人ひとりが文化財を守ろう、残そうとする気持ちと、人びとのネットワークが不可欠である。そのためにも、博物館は、もっと地域とのつながりを考え、文化財に対する理解を高め、文化財保護の意識を深めてもらうことに努(つと)めなければならないと感じている。

※2000年4月8日の土曜講座では、「災害と文化財保存」と題して、スライドを支えてお話する予定です。多くの文化財に関心のある方のご参加お待ちしています。

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