新旧館長あいさつ

天羽前館長が平成14年3月31日をもって定年退職され、4月から両角新館長が就任しました。おふたりにそれぞれ思い出、抱負を語ってもらいました。

人・モノとの出会いの34年 天羽利夫

天羽利夫

1968年4月、旧館の徳島県博物館に学芸員として勤務して以来、県文化の森建設事務局や県教委文化財課勤務の6年間を除いて、本年3月末に定年退職するまで徳島県立博物館でお世話になりました。私のこれまでの人生は、「博物館」の3文字が一時たりとも頭から離れることはありませんでした。退職して数ヶ月が経ちましたが、まだ博物館に勤務しているような錯覚に陥ることがあります。
今、博物館での生活を振り返ってみますと、「楽しい日々」の一語につきます。私が博物館に勤務するようになった頃は、まだ全国的に学芸員の職についている人は数少ない状態でした。学芸員と書いた名刺を手渡すと、学芸員というのは何をする仕事ですかと聞かれることもしばしばでした。その学芸員という職を私はこれまで堪能させてもらいました。
学芸員という職の魅力は、私の経験から「人とモノとの出会い」であると思います。日常的にさまざまなモノに出会い、それを手にとって触れることができ、そのモノの秘める謎にあれやこれやと語り合うことができました。また、博物館活動を通じて多くの人に出会うこともできました。旧館時代の30年前のことになりますが、私が担当した「親と子の遺跡巡り」の行事に参加した小学生が、考古学の虜(とりこ)になり、大学で考古学を専攻した後郷里に帰ってきて、現在ある市教委で発掘の仕事をしています。その人とは今も考古学仲間としてお付き合いをしています。
「人とモノとの出会い」の魅力は博物館を利用する側からも同じことが言えると思います。博物館の展示室で出会う一つのモノ、博物館で出会う人びと、ここに博物館の大きな魅力があるのではないでしょうか。一人でも多くの人が博物館を訪れ、この魅力を味わってもらいたいと願っています。

館長就任にあたって 両角芳郎

両角芳郎

私は1986年に、文化の森及び県立博物館の建設、開館後の博物館運営の一端を担うため、大阪市立自然史博物館を退職して徳島県へ移籍して参りました。それ以来はや15年が過ぎました。この間、皆様方のご支援を受け、博物館が開館して博物館活動も一応の軌道に乗り、徳島県の中核博物館として、あるいは研究を大切にする博物館として一定の実績を積み重ねてきました。しかし、開館10周年が過ぎ、博物館の更なる発展へ向けて脱皮しなければならない時期にさしかかっているように思われます。当初、10周年での実現を目標に掲げていた常設展のリニューアルも、まだ実現の目途がたっていません。職員の世代交代も大きな課題です。このような時期に果たしてリーダー役が務まるかどうか不安になるとともに、責任の重大さを感じます。
この数年の全国の博物館をめぐる状況は、来館者の減少や運営予算の減少にみられるようにきびしさを増しています。その反面、教育改革が進む学校教育への支援、環境保全や文化財の保存に対する博物館の立場からの提言、様々な情報の提供などの多くの面で、博物館への期待が高まっているのも事実です。博物館活動の基本である調査研究と資料収集を着実に進めることは当然のこととして、その基礎の上に立って更に何ができるかを職員とともに考えながら、気軽に訪ねて利用しやすい、利用して役に立つ「親しまれる博物館」づくりを推進し、県民の期待に応える努力を続けて行きたいと思います。
皆様方のご指導ご鞭撻をお願い申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。

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