博物館ニューストップページ博物館ニュース047(2002年6月15日発行)鶏蒔絵印籠 狩野典信下絵 飯塚桃葉蒔絵(047号館蔵品紹介)

鶏蒔絵印籠 狩野典信下絵 飯塚桃葉蒔絵【館蔵品紹介】

美術工芸担当 大橋俊雄

鶏(にわとり)の絵を蒔絵(まきえ)であらわした印籠(いんろう)です。底面に 「栄川院(えいせんいん)」と「観松斎(かんしょうさい)」の銘があり、前者が下絵の作者名、後者が蒔絵の作者名と解されます。

栄川院とは、幕府奥絵師(おくえし)である木挽(こびき)町狩野(かのう)家の当主、狩野典信(みちのぶ)(1730-90)です。白玉斎(はくぎょくさい)とも号し、画家として最高位の法印(ほういん)にまで昇りました。

観松斎とは、蒔絵師(まきえし)の飯塚桃葉(いいづかとうよう)(?-1790)です。明和元年(1764)に阿波徳島の藩主蜂蜂須賀重喜(はちすかしげよし)に召し出され、江戸で仕事をしました。代表作に、宇治川蛍(うじがわほたる)蒔絵料紙箱(りょうしばこ)・硯箱(すずりばこ)(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)があり、印籠の作者としても有名です。

この印籠については、近世の蒔絵師を研究されている高尾曜(あきら)氏が、以下のように指摘されています。

昭和8年の『蜂須賀家売立(うりたて)目録』に、「観松斎蒔絵印籠 十二個」と題して、印籠3個の写真が載っています。ただし3個とも、鶏蒔絵印籠とは違います。つぎに、昭和13年の『松宝山荘売立目録』(東京美術倶楽部(くらぶ)刊)に、「栄川院下絵観松斎/東方齋作十二ヶ月印籠」と題して、先ほどの3個をふくむ印籠12個の写真が載っており、鶏蒔絵印籠とおなじ図柄も見られます。すなわち、『蜂須賀家売立目録』に載る観松斎蒔絵印籠とは、栄川院下絵の十二ヶ月印籠のことで、この鶏蒔絵印籠はその中の1点である、という趣旨です。

鶏の図がなぜ12ヶ月の1つなのか、今のところ説明できません。しかしご指摘は、大筋で正しいと思います。
鶏蒔絵印籠は、全体を金地(きんじ)とし、鶏を高(たか)蒔絵によって立体的にあらわします。鶏冠(とさか)には朱粉を蒔(ま)きますが、表面に細かい凹凸がついています。眼には水晶をはめ、首まわりの羽毛には朱金(しゅきん)という技法をつかい、胴体には赤金(あかきん)と青金(あおきん)を蒔き分けます。毛筋の細かい線は付描(つけが)きでひきます。尾羽などは、銀粉を蒔くところと、透明な漆の面に金粉を蒔きぼかすところがあり、貝や金の小片を置きならべて、毛筋の線をあらわします。

真横を向いている、一羽の雄鶏(おんどり)に注目してみましょう。羽毛でおおわれた体が、柔らかく肉取りされています。片方で立つ脚(あし)にも、鳥の脚らしい弾力感がこもります。尾羽は、透明感のある塗りに、貝片が青く輝いて微妙な効果を出しています。

宇治川蛍蒔絵料紙箱・硯箱や、箏九江(そうきゅうこう)の瀟湘(しょうしょう)八景図(博物館ニュース41号参照)など、桃葉の手がけた蒔絵には緊張感がみなぎります。それらに比べると、鶏蒔絵印籠は楽な気持ちで作られたようです。しかし、なかなか出会えない秀作です。

図1 鶏蒔絵印籠

図1 鶏蒔絵印籠

図2 鶏蒔絵印籠

図2鶏蒔絵印籠

図3 銘

図3 銘

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