アゴヒゲアザラシはなぜ徳島へやって来たのですか?【レファレンスQandA】
動物担当 佐藤陽一
アゴヒゲアザラシは北極海とその周辺に住む哺乳(ほにゅう)類で、ふだんは流氷(りゅうひょう)と共に浅い海で、力二や工ビ、などを食べて生活しています。そのため北海道のオホーツク海沿岸でさえめったに見ることはなく、本来の生息地以外での出現は迷行(めいこう)と呼ばれています(図1)。ところが徳島県では2005年(那賀川河口)と2015年(大潟(おおがた)漁港、小勝島(こかつしま))に合わせて3個体のアゴヒゲアザラシが来遊(らいゆう)し、皆を驚かせました。しかも徳島県におけるアゴヒゲアザラシの出現は、紀伊水道の橘(たちばな)湾周辺の狭い海域に集中しており(図2)、滞在期間が4~288日と比較的長い傾向にありました(図3)。
図 1アゴヒゲアザラシの分布と日本における迷行記録のプロット(国立科学博物館海棲晴乳類ストランデイングデータベースほかに基づく)。迷行場所の海域別割合(円グラフ上)および迷行個体の成長段階(円グラフ下)。矢印は徳島県における迷行個体の想定される移動経路を示す。
図2 徳島県に迷行したアゴヒゲアザラシ 3個体の出現地点(国土地理院電子園土 Webの画像を改変)。紀伊水道内の橘湾とその周辺の直径 10kmの範囲に集中している。
図3 迷行個体の地点別滞在日数。図1の 30事例で滞在日数の記録のあるものから 2日以上滞在した事例をグラフ化した。
これまで日本におけるアゴヒゲアザラシの迷行記録は30件あり、これらを分析することにより、なぜ本来の生息地から遠く離れた流氷もない徳島ヘアゴヒゲアザラシがやって来たのか、おおよそのところがわかってきました。要約すると次のとおりです。
・遊泳(ゆうえい)能力・移動能力に長けた若い個体のごく一部が、経験不足から迷行している可能性が高い(図1の下の円グラフ)
・太平洋側で多く、日本海側で少ない:少なくとも太平洋側では東から西へ移動しているらしい(図1の矢印)
・迷行場所は外海(かいがい)的な海岸ではなく、ほとんどが波あたりの弱い河川や港内
・大きな内湾(ないわん)ほど滞在日数が長い傾向にある(図3)
以上のことから、太平洋岸を西へ移動していた経験に乏しい若い個体が、紀伊半島から西へ移動しようとしたときに、波あたりが弱く、上陸できる場所があり、餌をとりやすい浅海(せんかい)が付近に広がった紀伊水道の橘湾に行き当たり、滞在した可能性が考えられます。橘湾と同様に東京湾や伊勢湾でも滞在日数は長いのですが(図3)、一力所にとどまることはなく湾内で移動を繰り返していました。それに対して橘湾では一力所にとどまる傾向があったことから、この場所がよほど気に入っていたのかもしれません。
なお、詳細は次の論文をご覧ください。博物館のホームページからダウンロードできます。
〈参考文献〉
佐藤陽一,谷田部明子,桐畑哲雄(2016)徳島県におけるアゴヒゲアザラシ Erignathus barbatus の出現記録.徳島県立博物館研究報告.No. 26:39-47 [http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/kiyo.html]