企画展「四国の古墳」記念講演【CultureClub】

 平成4年度第1回企画展「四国の古墳」は、4月24日から5月24日の期間開催されました。観覧者数は4,703人で県外からも多数の方が見に来て下さいました。
 この企画展の記念講演会が5月17日(日)に行われました。参加者は197名で、非常に盛況でした。以下、このときの講演の内容をテープから採録して掲載します。

講演1 三角縁神獣鏡と四国

山口大学人文学部教授 近藤 喬一

講師の近藤喬一氏

鏡は、弥生時代から古墳時代にかけて、権力の象徴としてもっとも大事にされたもののひとつである。
弥生時代・古墳時代の日本の鏡には、日本でつくられた鏡、中国でつくられた鏡、朝鮮半島でつくられた鏡があり、現在までに出土している鏡の総数は、およそ4000面から5000面ぐらいである。
そのうち鏡の縁の断面が鋭い三角形で、神様や獣の文様が浮き彫りふうに表現された、三角縁神獣鏡とよはれる鏡(図1)はおよそ330枚ほどあり、これまでのところ日本でしか見つかっていない。
これらの鏡の中には、年号が刻まれているものが10面ほどあるが、これらの年号は、中国の三国時代の魏・呉という国の年号で、238年~244年のわずか6年間のものに限られている。
魏・呉・蜀の歴史を記した『三国志』のうち『魏志』倭人伝には、3世紀の日本の様子がくわしく書かれている。それによると、「耶馬台国の女王、卑弥呼が景初2年6月に使いを遣わした」こと、「卑弥呼が親魏倭王に任じられ、金印、銅鏡100枚をはじめさまざまな品物を下賜された」ことなどがわかる。卑弥呼がもらった鏡の中には、景初3年(239)、正始元年(240)という年号が刻まれた鏡も入っていたのであろう。
しかし一方、三角縁神獣鏡が中国では1面も出土していないことから、日本でつくられたものであると主張する人もいる。

徳島市宮谷古墳出土の三角縁神獣鏡


三角縁神獣鏡は、同じ鋳型でつくられた同范鏡が多いことも特徴である。京都府の椿井大塚山古墳を中心として日本各地の古墳に多くの同范鏡が分有されているが、これにはふたつのタイプがある。
ひとつは、奥3号(香川)-椿井大塚山(京都)-連福寺(静岡)-三本木(群馬)のように、九州からは1面も出士せず、中・四国から近畿をへて中部・関東におよぶ一群(東方型鏡群)である。もうひとつは赤塚(大分)-鶴山丸山(岡山)-宮谷(徳島) 、名島(福岡)-国分(愛媛)-白石光伝寺(奈良)などのように西は九州、中・四国から近畿へとつながるが、中部・関東にはおよばない一群(西方型鏡群) である。おそらく西方型鏡群が先に配られ、その後東方型鏡群が配られたのだと考えられる。それは中国、朝鮮半島との外交のために、九州、中国、四国地方の豪族と同盟を結ぶ必要があったからである。畿内の大王は、同盟のあかしとして地方の豪族に鋭を配り、魏との外交で得たものを、支配の道具として使ったのである。
三角縁神獣鏡は、当時の社会を理解するうえでたいへん重要なものであるといえる。

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