企画展ミネラルズ

四国の鉱物

◆ 辰砂Cinnabar

図6-9
辰砂【阿南市水井町 左右 7.5cm】
篠本二郎氏が明治時代に採集した標本で、産地などの註記がある。
図6-10
辰砂【阿南市水井町 画面の左右 7cm】
石灰岩に伴うもの。

阿南市水井町付近は、かつては日本有数の辰砂の産地でした。この周辺は、古代と近代の2つの時代に、それぞれ異なった目的で辰砂の採掘が行われました。

水井町にある若杉山遺跡では、弥生時代の終末から古墳時代前期にかけて、顔料としての辰砂が採掘されていました。採掘や粉砕に使った多数の石臼や石杵が出土しており、中には辰砂が付着した石杵なども見つかっています。

その後江戸時代までは大規模な採掘は行われていませんでしたが、1888(明治19)年春から水銀鉱山(水井鉱山、のちに由岐水銀鉱山)として開鉱されました。1902(明治35)年頃には年約600kgを精錬し、奈良県の大和水銀鉱山とともに国内二大水銀産地としてひろく知られるようになったといいます。昭和初期の休業状態をはさんで、日中戦争以後に再び採掘が始まり活気を取り戻したものの、鉱量がなくなり、1955(昭和30)年ごろ休山しました。

現在は、坑道などが残されています。しかし、普通に歩いても辰砂を含んだ鉱石はなかなか見ることができません。